ロマネ・コンティは、ブドウ畑が僅か1.8haしかない為年間平均7000本程度しか生産されない希少なワインです。その品質の良さと希少性から世界の富豪、セレブが競い合って買い求める世界最高のワインの1つとして有名です。
分類 | 赤ワイン |
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ブドウ品種 | ピノ・ノワール |
生産国 | フランス |
生産者名 | ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ |
地方 | ブルゴーニュ地方 |
村 | ヴォーヌ・ロマネ村 |
ロマネ・コンティとは
ロマネ・コンティはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)が単独所有するフランスのブルゴーニュ地方、ヴォーヌ・ロマネ村にある約1.8haのグラン・クリュ(特級畑)で栽培されているピノ・ノワールのみで造られたワインの事です。
年間生産量は順調な年で7000本ほど、不調な年で4000本と希少性の高いワインです。
そのため、世界で最も高値で取引されるワインの一つで、どんなに安くても30万円は下らず、良作の年のものは1本100万円を超えるものも存在します。
ロマン・コンティという名はブドウ畑の名称をそのままつけたもので、「ロマネ」は古代ローマ時代にこの畑を生み出したローマ人に由来しており、「コンティ」は18世紀フランスブルボン朝のコンティ公に由来しています。
ロマネ・コンティの歴史
ロマネ・コンティの歴史はローマ時代まで遡りますが、12世紀にブルゴーニュ公ユーグ2世がヴォーヌやフラジェの土地をサン・ヴィヴァン修道院に寄進した事から修道士たちによって本格的に開墾と区画整理が始まりました。
この畑の土壌に合ったピノ・ノワールを植え、当時のロマネ・コンティの畑は「クルー・デ・サンク・ジュルノー (一人の農夫が5日間かけて手入れできる大きさの畑)」と呼ばれていました。
16世紀から次々と様々な有力者の手に渡り、17世紀頃から「ロマネ」と呼ばれるようになり、この頃から高品質のワイン造りが始まります。
その噂を聞いたコンティ公ルイ・フランソワ1世は、国王ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人との争奪戦の末、1760年にこの畑を手に入れます。
そのため、1760年から30年余りは宮廷の宴で振る舞うワインとして消費されていたため、世に出回る事はありませんでした。
しかし、フランス革命によって畑は国に没収され、その後も様々な富豪の手を転々としてきましたが、1869年にジャック・マリー デュヴォー・ブロシェによって畑は買取られ、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティが誕生し、ロマネ・コンティというワインも世に広く知られるようになりました。