クロ・ド・ヴージョとは
フランスにあるワインの名産地として有名なコート・ド・ニュイ地区内のヴォーヌ・ロマネ村の北側にあるヴージョ村にクロ・ド・ヴージョという畑は存在します。
このヴージョ村では、12世紀初頭にシトー修道院の修道士達が修道院を建てて、信者達から寄付された土地でブドウ栽培及びワインの醸造を始めました。
この時に栽培をしていた畑が現在のクロ・ド・ヴージョ畑となり、修道士達のブドウ栽培がクロ・ド・ヴージョの起源となっています。
また、クロ・ド・ヴージョ畑は石垣で囲まれていますが、これはシトー修道院の修道士達が14世紀頃に作った石の塀で、現在もそのままの状態で残され畑の境界線として用いられているそうです。
この石垣で囲まれたクロ・ド・ヴージョ畑は、フランス語で石垣などの塀で囲われたぶどう畑、ぶどう園という意味を持つ「クロ」という言葉が付き、現在のクロ・ド・ヴージョという名前になりました。
クロ・ド・ヴージョ畑は50haという広さをほこりコート・ド・ニュイ地区にあるぶどう畑の中で一番大きい畑と言われています。
東京ドーム1つ分の大きさの畑なので生産者や栽培者の数も多く、なんと80以上の生産者や栽培者で分割して所有されているそうです。
主な生産者
メオ・カミュゼ
アンヌ・グロ
ドルーアン・ラローズ
デュージェニー
フーリエ
ドニ・モルテなど
ドメーヌ・ルロワとは
クロ・ド・ヴージョ畑を持つ生産者や栽培者は80人以上もいますが、その中でもドメーヌ・ルロワが作るワインは格別です。
別格の品格と存在感を放つ名門と言われるドメーヌ・ルロワは、ラルー・ビーズ・ルロワという一人の女性が作ったドメーヌです。
ラルー・ビーズ・ルロワは、ブルゴーニュを代表するドメーヌのルロワ社で三代目を務めたアンリ・ルロワの娘で、初めは父親と一緒にルロワ社を手伝っていました。
父親の亡き後四代目としてルロワ社の経営を行いますが、1942年にロマネ・コンティ社の所有権を半分ずつ所有し共同経営者となったヴィレーヌ家との間で経営や栽培に関する事で年々対立が酷くなっていきました。
この状況を重く受け止めたラルー・ビーズ・ルロワは、ルロワ社の経営を甥のアンリ・フレデリック・ロックに任せ、自身は1988年にドメーヌ・ルロワ、翌年の1989年にドメーヌ・ドーヴネを設立し現在に至ります。
ラルー・ビーズ・ルロワは、農薬や化学肥料、殺虫剤など一切使わないビオディナミ農法でブドウを栽培し、畑の個性を生かしたワイン造りを行っています。
ラルー・ビーズ・ルロワの並外れたテイスティング能力と厳しい品質管理、妥協のない探究心により作り出されたワインは最上級とも言える素晴らしいお品物です。
ドメーヌ・ルロワのクロ・ド・ヴージョ
ブルゴーニュ随一のテイスティング能力を持つラルー・ビーズ・ルロワが作るワインは、まるで熟したベリーをさらに鍋で煮詰めたような濃縮感がありながら、口に含むと軽やかできめ細かく繊細な舌触りを感じさせます。
また、花束のような華やかな香りとフルーティな甘い香りが飲んだ瞬間鼻に抜けて心地よいひと時を感じられる一品です。
ドメーヌ・ルロワのワイン買取
ドメーヌ・ルロワでは、今回ご紹介したクロ・ド・ヴージョ以外にもロマネ・サン・ヴィヴァンやシャンベルタン、リシュブールなど様々な畑を所有しています。
それぞれの畑によってもちろん味わいは異なりますが、それ以外にもワインには当たり年と呼ばれるいいブドウが育った年のワインは中古市場でも人気が高くなっております。
ドメーヌ・ルロワのワインをご売却お考えの方は、何年に収穫された物か、どこの畑で作られたのか詳細を頂けますとお調べが可能です。
また、頂いた物で全く詳細が分からないという場合は、ワイン全体とラベル部分の写真を頂けますとお調べ出来ます。
いわの美術では、ドメーヌ・ルロワのワイン以外でもメドック5大シャトーの中で筆頭とされているシャトー・ラフィット・ロートシルトや、世界で最高峰と言われているロマネ・コンティもお買取りしております。飲まないワインがございましたら、是非いわの美術までご相談ください。
また、弊社いわの美術では、お酒以外でも美術品や骨董品のお買取りも強化しております。
お茶道具や掛軸、絵画、洋食器、ブランド品、ガラス工芸品、仏像、中国美術、日本刀など様々なお品物をお買取りしております。
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