密造酒時代には、エジンバラの連合国に納税していた蒸溜所はわずか8か所でした。それに対して、未登録の非合法蒸溜所は約400か所にものぼり、1820年代までにスコットランドで消費されたウイスキーの半分以上が密造酒であったともいわれています。
1823年、ハイランドの大地主で常議員のゴードン公爵が「政府は合法的なウイスキーを造ることで利益を生み出すべき」と提案し、新物品税法によってお酒の税率が下げられました。この酒税法改正により、密造酒時代が終幕し、1824年以降、政府公認の蒸溜所が数多く誕生しました。
これを機に「ザ・グレンリベッド」「ザ・マッカラン」「リンクウッド」「フェッターケン」「バルメナック」「ミルトンダフ・グレンリベット」といった蒸溜所がライセンスを取得し、その後、約10年で大部分の蒸溜所が政府公認となったといいます。
この新しい酒税法によって小規模の蒸溜所でも、安い税金で蒸溜を行うことが可能となったのです。
スコッチウイスキーの歴史において、密造酒時代と同じ位、大きな出来事といわれるのが、連続式蒸溜機の発明です。
1826年に発明され、1831年にイーニアス・コフィによって改良・完成された連続式蒸溜機はコフィ・スチルと呼ばれますが、この近代的な連続式蒸溜機の登場により、ウイスキーの大量生産が可能となりました。
連続式蒸溜機では、発酵液に麦芽(モルト)だけでなく、原料としてピートで乾燥させていない麦芽、発芽していない大麦、小麦、ライ麦、トウモロコシなど、様々な雑穀を加えたものまで扱えるようになりました。それに伴い、原料の単価が大幅に引き下げられ、工業生産品ともいえるグレーンウイスキーが誕生しました。
連続式蒸溜機の登場とともに、グレーンウイスキーが市場を席巻することとなりましたが、このことが逆に、従来のモルトウイスキー業者を刺激し、彼らから訴訟が起こされるという事態に陥りました。
しかし、1863年、エジンバラのアンドリュー・アッシャー社による”モルトとグレーンを混合する”というアイディア、すなわち、”グレーンウイスキーに、個性的で風味豊かなモルトウイスキーを混ぜる”という、新たなアイディアが発案されたことにより、モルトとグレーンの共存”ブレンデッドウイスキー”というコンセプトが誕生しました。
このブレンデッドウイスキーの誕生は、それまでのウイスキーのイメージを変える大きな出来事となりました。単体で飲むには風味が乏しかったグレーンウイスキーに、個性の強いモルトウイスキー加えることによって、洗練された口当たりの良い味と香りに生まれ変わりました。
ブレンデッドウイスキーの誕生により、それまでスコットランドの地酒でしかなかったウイスキーが世界に広げる大きなきっかけとなり、1880年代からは、後世まで飲み続けられるブレンデッドウイスキーの名品が続々と生まれました。
また、スコッチウイスキーが世界に広く飲まれるようになった要因のひとつとして、フィロキセラ虫の異常発生という自然現象があげられます。
この虫の異常発生により、1880年代までにフランスのブドウ農園は壊滅的な打撃を受けてしまいます。そのため、ワイン好きのイングランド人はワインからブランデーに目を向けましたが、ブドウを主原料とするブランデーもすぐに底をついてしまいました。
スコットランドの蒸溜家たちはこのワイン市場の危機という機会に、抜け目なくスコッチウイスキーをイングランドに広めていくことに尽力しました。
そして、フランスでこの虫の影響などによって落ち込んでいたワインやブランデー市場が復興する頃には、スコッチウイスキーの地位はゆるぎないものへと成長し、英国輸出産業のトップ5に数えられるほどになっていたのです。