ヴーヴ・クリコの歴史
ヴーヴ・クリコは1772年にフィリップ・クリコ=ムーリオンが、フランスのランスに多角事業を行う企業として「クリコ」の社名でスタートしました。
その後、フィリップ・クリコ=ムーリオンの息子と結婚したバルブ・ニコル・ポンサルダン(通称マダム・クリコ)が経営を引き継ぎ、シャンパン事業と他の事業を切り離し、1810年に「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」と改名した事で、ヴーヴ・クリコでのシャンパン造りが本格化しました。
その道のりは決して楽なものではなく、早くに夫を亡くしている事から義父であるフィリップ・クリコ=ムーリオンに何度か支援してもらいながら、バルブ・ニコル・ポンサルダンは販売経路をロシアへと定め、起死回生を狙います。
ナポレオン戦争前後に生産量と販売数を増やしてロシア帝国の王室への売り込みに成功すると、戦争が終了してすぐにライバル業者を出し抜いてロシアに輸出を行いました。
ヴーヴ・クリコのシャンパンはたちまちロシアの人々を魅了し、皇帝アレキサンダー1世は「自分が飲むのはヴーヴ・クリコだけ」と公言するほどで、ヴーヴ・クリコの名は世界中に広まっていきました。
こうして現在はLVMHグループの傘下に入り、日本を含めた世界各国で流通しており、世界有数のシャンパンブランドとして君臨しています。
ヴーヴ・クリコの技術
シャンパンはボトルの中で二次発酵させて造られますが、この過程で澱が生まれ、古い時代のシャンパンは澱のせいで液体は濁っており、味もあまり良くありませんでした。
そのため、澱を取り除く作業はボトルを移し換えて行っていましたが、この工程は時間がかかる上にシャンパンの味を損ねていました。
そこでヴーヴ・クリコではこの製造工程の改良に着手し、ワインのボトルを上下逆さまに台にセットし、ゆっくりと回転させることで澱を瓶口に集めていく方法「ルミュアージュ(動瓶)」を生み出しました。
この方法は現在のシャンパン製造業者も使用しており、ヴーヴ・クリコはシャンパンに大きな革命をもたらしたのです。
ヴーヴ・クリコの種類
ヴーヴ・クリコにはイエローラベルブリュット(Yellow Label Brut)、ラ・グランダーム(La Grande Dame)、ヴィンテージ・リザーヴ(Vintage Reserve)、ロゼ・リザーヴ(Rose Reserve)、リッチ・リザーヴ(Rich Reserve)、ドゥミ・セック(Demi-Sec)などいくつかの種類があります。
イエローラベルブリュットはヴーヴ・クリコを代表するラベルとして知られ、ラ・グランダームは、「偉大な女性」という意味を持ち、マダム・クリコに捧げられたシャンパンです。
このように多彩なラインナップが用意できるのは、全長24kmにもおよぶ貯蔵用の地下セラーに約4000万本のボトルを含め、37億2000万本のストックが存在しているヴーヴ・クリコだから成せる事なのです。