マルスウイスキーの歴史
マルスウイスキーは1949年の終戦後間もない日本でもウイスキーが普及し始めた頃に、鹿児島県の焼酎メーカーであった本坊酒造がウイスキーの製造に着手したことに始まります。
マルスウイスキーは小規模生産ながらも大手メーカーに負けない地ウイスキー造りを目指し、地ウイスキーの中でも「西の雄」と呼ばれるようになりました。
当初鹿児島の蒸留所でウイスキー造りが開始されましたが、1960年に山梨マルスワイナリーを設立し、その後1985年に日本の風土を生かした本格的なウイスキー造りの理想の地を求めて、長野県駒ヶ岳山麓に信州マルス蒸留所を設立し現在に至っています。
またジャパニーズウイスキーの父と呼ばれる竹鶴正孝に、ウイスキー造りを学ぶためにイギリスへ派遣させたのがマルスウイスキーの生みの親である岩井喜一郎でした。
竹鶴正孝が帰国後にウイスキー研修の成果をまとめた「ウイスキー報告書」が岩井喜一郎へと提出され、その報告書が後にジャパニーズウイスキーの原点となった通称「竹鶴レポート」となっています。
そして岩井喜一郎の指導のもと設計されたポットスチルにより造られた原酒を元としてマルスウイスキーは誕生し、それ以後マルスウイスキーは隠れた銘酒としてウイスキー通の間で幻の逸品とも呼ばれています。
マルスウイスキーについて
信州マルス蒸留所は、標高798mで霧が多く冬には氷点下15度を下回る日もある長野県駒ヶ岳山麓の宮田村に位置しています。
マルスウイスキーの仕込み水には、中央アルプスの雪解け水でゆっくりと花崗岩質土壌に浸透して濾過された、ウイスキー造りに最適な軟水が使われています。
良質な水源と豊かな自然に囲まれた信州マルス蒸留所は工場見学ができる蒸留所としても知られており、蒸留所限定のウイスキーも販売されるなど観光客に人気の蒸留所としても有名です。
またマルスウイスキーは地ウイスキーとして数々の銘酒を世に送り出してきましたが、「マルス モルテージ3プラス25 28年」はイギリスで開催されたワールドウイスキーアワード2013で世界最高賞を受賞するなど、世界のウイスキーと並んで高い評価を得ています。