アルマン・ルソーについて
アルマン・ルソーは、フランスのブルゴーニュ地方ジュヴレ・シャンベルタン村にあるドメーヌで、ジュヴレ・シャンベルタンでその名を知らない人はいないほど有名です。
古くからジュヴレ・シャンベルタンは、その名を付ければどんなワインでも売れていたというほど高い人気を誇っていたため、不正なブレンドのジュヴレ・シャンベルタンが世に出回っており、中にはまったく違うワインがジュヴレ・シャンベルタンのラベルを貼られ流通していました。
そのため、ジュヴレ・シャンベルタンと言っても品質が定まらず、その人気は衰え始めていました。
その事を危惧したアルマン・ルソーは、設備を整え、栽培から醸造、ボトル詰めまで一貫してドメーヌで行うという当時では珍しい存在として成功をおさめ、無事にジュヴレ・シャンベルタンの名声を高め、その名を守りました。
アルマン・ルソーの歴史
20世紀のはじめ、ジュヴレ・シャンベルタンに一族の所有する小さな畑を寄せ集めて、アルマン・ルソーがドメーヌを設立した事でその歴史が始まりました。
アルマン・ルソーは、結婚によって畑を拡張した後、シャルム・シャンベルタン、クロ・ド・ラ・ロッシュ、シャンベルタンなどフィロキセラの被害や戦争の影響で価格が暴落したグラン・クリュを買取り、ドメーヌの礎を築きました。
当初は出来上がったワインをネゴシアンに売っていましたが、世界恐慌などによってネゴシアンの経営環境が厳しくなり、以前のようにブドウの栽培農家からワインを買う事ができなくなりました。
その一方で、ジュヴレ・シャンベルタンの名声を落とすような品質の悪いワインが出回るようになり、それを防ぐためにアルマン・ルソーはドメーヌ元詰めを開始しました。
1959年にアルマン・ルソーが自動車事故によってこの世を去ってしまうと、息子のシャルル・ルソーがドメーヌを引き継ぎ、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズやリュショット・シャンベルタン・クロ・デ・リュショットを新たに取得し、ドメーヌの規模を6haから13haまで拡大させました。
その後、シャルル・ルソーの息子エリック・ルソーがドメーヌを受け継ぎ、2012年にはディジョンのブルゴーニュ大学で栽培学を学んだエリック・ルソーの娘シリエルもドメーヌに入り、トップドメーヌの品質を守り続けています。
アルマン・ルソーの畑
現在、アルマン・ルソーの畑は15haを超えるほど拡大し、その中でも村名畑は3haほどしかなく、プルミエ・クリュ(1級畑)も4haとして少ないのですが、グラン・クリュ(特級畑)は8haと所有する畑の半分以上を占めています。
そのため、アルマン・ルソーの村名ワインは大変貴重な存在で、なおかつアルマン・ルソーのワインの中で比較的安価である事から高い人気を誇っています。
アルマン・ルソーの畑では除草剤や殺虫剤などは使用しておらず、環境と人にやさしいブドウ栽培を行っています。
そのブドウはジュヴレ・シャンベルタン村の中でもかなり早い時期に収穫される事で知られ、最高のワインを造るためには、最高のブドウを造る事が大切というスタイルを貫き通しています。
そのため、村名格付けや特級、1級格付けなど、ワイン法で定められている格付けはアルマン・ルソーでは関係なく、その格付け以上の手間暇をかけてワイン造りを行っています。