シャトー・ラフィット・ロートシルトの畑
シャトー・ラフィット・ロートシルトはシャトーの敷地面積が123haあり、そのうち100haがブドウ畑となっています。
その土壌は石灰質を基盤とする砂利質で、メドック地区でも最上の畑と言われています。
品種別の作付面積は、カベルネ・ソーヴィニョンが70%、メルローが25%、カベルネ・フランが3%、プティ・ヴェルドが2%となっています。
その年のブドウの出来具合によってブレンドの比率は変わりますが、過去にはカベルネ・ソーヴィニョンを100%使用したワインが造られています。
シャトー・ラフィット・ロートシルトの歴史
シャトー・ラフィット・ロートシルトの名称の由来は、古いガスゴーニュ語で「小高い所」という意味を持つ「La Hite(ラ・イット)」が転じてラフィットと名付けられたと言われています。
17世紀にセギュール家がシャトー・ラフィットの所有者となり、ジャック・ド・セギュールという人物がブドウ畑を広げ、ワインの生産を本格化させた事からその歴史が始まりました。
その後、ジャック・ド・セギュールの息子で相続人のサレキサンドル・セギュールとシャトー・ラトゥールの女性相続人が結婚して息子が誕生します。
その息子はラフィット、ラトゥール、カロン・セギュールなどの広大な農園を相続し、ワインの生産技術の改良を行い、ヨーロッパ各国の上流階級へと販路を広げ、名声を高めていきました。
18世紀に入ると跡継ぎ問題で所有していた畑は分離され、様々な人の手に渡りましたが、1868年にロスチャイルド財閥創始者マイヤー・アムシェルの五男であるジャコブ・マイエール・ド・ロチルドが新たな所有者となり、「シャトー・ラフィット・ロートシルト」と改名され、生産が続けられました、
しかし、第一次世界大戦、第二次世界大戦と大きなダメージを受けたシャトー・ラフィット・ロートシルトは再建後もいくつかの困難を乗り越えて、現在はドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(DBR)が運営の主体となっています。
シャトー・ラフィット・ロートシルトのセカンドラベル
シャトー・ラフィット・ロートシルトでは年間3万5000ケースほどのワインの生産量を誇っており、そのうちの1万5000ケースから2万5000ケースが第1級格付けの「シャトー・ラフィット・ロートシルト」として出荷されます。
そしてそれ以外のワインをセカンドラベルの「カリュアド・ド・ラフィット」として出荷しています。
クレームド・カシス、クランベリー、などの熟した黒系果実のアロマとフルボディで、キメ細かく丸いタンニンが特徴的で、近年ではそのクオリティの高さに人気が集中しています。