シャトー・ド・ヴァランドローについて
シャトー・ド・ヴァランドローはジャン・リュック・テュヌヴァンが手掛ける小さなシャトーで造られているワインで、シャトー名は、最初に購入した畑であるフォンガバンの谷底を意味する「Vale」と、夫人の姓「Andraud」を合わせたものです。
ファーストヴィンテージが1991年という比較的歴史の浅いシャトーですが、サザビーズのオークションで、ボルドーワイン最高値をつけるなど、コレクターや愛好家から高く評価されていますが、シャトー・ド・ヴァランドローは生産量が少なく入手困難である事から、「幻のワイン」と呼ばれています。
そんなシャトー・ド・ヴァランドローはシャトー・ペトリュス、シャトー・ル・パンに次ぐ、サン・テミリオン最高峰の一つとして知られ、ワイン造りには手間を惜しまず、完全手作業にこだわっています。
現代の手法を取り入れながらも、その自然を最大限にいかし、収穫は家族同然の従業員や友人、そして熱心な顧客など約30名のスタッフと共に2日間行われ、4.5haの畑から完熟しているブドウのみを収穫しています。
そんなシャトー・ド・ヴァランドローでは、セカンドワインのヴィルジニー・ド・ヴァランドローと、サードワインのトロワ・ド・ヴァランドローも生産していますが、セカンドワインのヴィルジニー・ド・ヴァランドローはファーストワインに引けを取らない評価を持っています。
セカンドワインのヴィルジニー・ド・ヴァランドローは、ブドウ畑の一部にビニールシートを敷き、雨水を排除して育てたブドウで造られたワインで、この方法はフランスのワイン醸造法で認められない方法でした。
そのため、格付けワインとして名乗る事ができませんが、この事からジャン・リュック・テュヌヴァンの「格下げしても良いから品質の高いワインを造りたい」という強い情熱が伝わってきます。
また、サードワインのトロワ・ド・ヴァランドローは、一般的なサードワイン扱いではなく、「3番目に造ったワイン」という意味を込めてサードワインとしているそうです。
シャトー・ド・ヴァランドローの歴史
シャトー・ド・ヴァランドローは、アルジェリア生まれのジャン・リュック・テュヌヴァンが、シャトー・オーゾンヌのアラン・ボーティエと知り合い、ワインの世界に興味を持った事からその歴史が始まりました。
ジャン・リュック・テュヌヴァンは、木材伐採の仕事、病院の看護人など様々な職業を転々とし、クレディ・アグリコール銀行に勤務していた頃、銀行での出世が見込めない事をきっかけに仕事を辞めて、1989年に土産物屋を購入しました。
購入した土産物屋のおまけとして付いていた、サン・テミリオンの丘とパヴィの丘に挟まれた谷底にあった0.6haの畑で、この畑でブドウの栽培を行うようになりますが、醸造設備がなかったため、そのブドウは協同組合へ出荷され、他の生産者のブドウと一緒にワインにされていました。
その事が不満だったジャン・リュック・テュヌヴァンは、親交の深いアラン・ボーティエの全面的な協力のもとワイン造りを自宅のガレージで行い、全体的に不作であった1991年にリリースしたファーストヴィンテージが高く評価された事により、注目を浴びるようになります。
翌年、天候不順で名だたるシャトーが実力を発揮できなかった時に最高のヴィンテージをリリースした事で、シャトー・ド・ヴァランドローの名は一気に知れ渡り、評価を高めていきました。
こうして、次々と畑を購入しますが、その畑のほとんどが並のテロワールを持つものばかりで、どうしてこのテロワールから最高のワインが造られるのか、ワイン評論家たちから疑問の声が上がっています。