シャトー・オー・ブリオンについて
シャトー・オー・ブリオンはボルドー近くのグラーヴ地区ペサック・レオニャン村にあるシャトーで、第1級に位置づけられています。
1級ワインに加え、セカンド・ワインのシャトー・バーンズ・オー・ブリオンがあり、2007年からル・クラランス・ド・オー・ブリオンに名称を変更しています。
また、シャトー・オー・ブリオン・ブランという名の辛口の白ワインも生産しており、そのセカンド・ワインはレ・プランティエール・デュ・オー・ブリオンといいます。
シャトー・オー・ブリオンは、ボルドー地方の第1級5大シャトーの一つで、その中でも最もエレガントで複雑だと高い評価を受けています。
シャトー・オー・ブリオンの歴史
シャトー・オー・ブリオンのあるこの地区はローマ時代からブドウが植えられていたと考えられており、土地の一画を耕したという文書記録は最も古くて1423年に残されています。
1509年にジャン・ド・セギュールがこの土地を購入し、1525年には海軍大将フィリッパ・ド・シャボーが所有していました。
その後、ジャン・ド・ポンタックという人物が、オー・ブリオン領主のリブルヌ市長の娘ジャンヌ・ド・ベロンと結婚しました。
ジャンヌの持参金と土地を手にしたジャンは、オー・ブリオンの邸宅を購入するとシャトーの建設を行い、1649年にアルノー3世・ド・ポンタック卿がこのシャトーの所有者となりました。
この事がきっかけでワインの人気が本格的となり、シャトー・オー・ブリオンのワインについての最初の記録がイングランド王チャールズ2世のワインセラーの元帳に残されており、169本のワインが王宮に収められていたようです。
17世紀の終わりまでに敷地の広さは264haに達し、そのうちの約38haがブドウ畑になっていました。
当時、そこで造られたワインはフランソワ・オーギュストがロンドンに構えていたポンタックという名の居酒屋で振る舞われており、シャトー・オー・ブリオンのワインは「ポンタック」という名で売り出されていました。
その後もシャトーは一族や他の領主が相続してきましたが、フランス革命によって土地は国に没収され、ベネヴェント公爵でもあったタレーラン(シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール)に売却されますが、その後も所有者は安定しませんでした。
競売にかけられたものをジョゼフ=ウージェーヌ・ラリューが購入し、ようやく所有者が安定すると歴史の陰でバラバラになってしまった土地を買戻し、元のように一つにまとめました。
そのラリュー家も1923年までは所有者でしたが、アメリカの銀行家クラレンス・ディロンが購入し、シャトーの改革を行い、現在の名声を手に入れました。