シャトー・マルゴーについて
シャトー・マルゴーは世界で最も名声を有する赤ワインの一つで、ボルドーの5大シャトーでもあります。
年間の生産量は約35万本で、第1級の名声に達しないと判断された赤ワインはセカンドラベルの「パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー」として、セカンドにも満たないと判断された赤ワインは「マルゴー」の名称で販売されています。
ボルドーの北方、メドック地区マルゴー村にあるシャトー・マルゴーは、262haの敷地を持ち、AOC認定の赤ワイン用のブドウ畑は87haあります。
白ワイン用のブドウの畑も12haあり、ソーヴィニヨン・ブランが栽培され、「パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー」も年間約4万本生産されています。
そんなシャトー・マルゴーの畑では80もの区画があり、そこから50の違ったワインを仕立て更に3種類のワインに選別されています。
シャトー・マルゴーの歴史
シャトー・マルゴーが歴史上最初に文献に登場したのは12世紀の頃で、当時は「ラ・モット・ド・マルゴー」の名で呼ばれていた農園でした。
その後、様々な人の手に渡り、1570年代にピエール・ド・レストナックという貴族が所有者となった事が一つの転機となりました。
ピエール・ド・レストナックはこの土地がワインの産地として発展すると予測し、1572年から1582年の間にシャトーの穀物畑を縮小してブドウ畑を増やし、ワインの生産に力を入れ、現在のシャトー・マルゴーの礎を築きます。
こうして18世紀はじめまでにシャトーの敷地は現在と近い広さまで拡大し、ワインの醸造技術が大きく進歩した事によって現代の製品に近い濃厚で複雑な味わいを持ちながら、長年の熟成に耐えられるワインを生み出しました。
フランス革命では国に没収されてしまいましたが、1801年にド・ラ・コロニラ侯爵の手に渡り、当時一流の建築家ルイ・コンブに依頼して壮麗なギリシア神殿風のシャトーを建設しました。
このシャトーは現在、ラベルに描かれているもので、シャトー・マルゴーのシンボルにもなっています。
19世紀に入っても所有者は安定せず、様々な人の手に渡っていますが、この間にセカンドラベルが造られるようになったり、ブドウ畑の拡大などが行われましたが、1973~1974年に起こった「ワインの大暴落」によって大きな損失を出し、名声を落としてしまいました。
その後、シャトー・マルゴーを買取ったギリシャ人のアンドレ・メンツェロプロスはフランスでもスーパーマーケット「フェリックス・ポタン」を買収した実業家として活躍しており、ボルドー大学の醸造学者エミール・ペイノーを技術顧問に迎え、シャトー・マルゴーの名声を取り戻していきました。
現在はアンドレ・メンツェロプロスの娘夫婦と総支配人ポール・ポンタリエの手によって運営されています。