商品詳細
今回いわの美術がお買取りしたお品物はAOCの制定により一級から特級に上がった稀少なワイン、クロ・デ・ランブレイの1994年です。
クロ・デ・ランブレイ畑の歴史はとても古く、1365年、シトー派の修道院が所有していた畑にクロ・デ・ランブレイの名前が確認出来ました。
1630年からのオーナーのルイ・ジョリーにより、様々な所有者からクロ・デ・ランブレイを大量に買収し、設備などにも多額のお金を投資しました。
しかし、立地条件の良さからも特級並の畑と言われていたクロ・デ・ランブレイは本来の力を発揮する事が出来ず、世間に認められない時代が長く続きます。
その後、新しいオーナー:アルベルト・セバスチャン・ロディエと、孫のカミーユは、コンフレーリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タストヴァン(利き酒騎士団)の創設者でもあった事から、クロ・デ・ランブレイの名声を確かなものとしました。
それにより、ワインの品質を維持し、向上を目的とするAOCの制定により、一級との認定を受けますが、特級を獲得するには大変困難を極めました。
この負の連鎖を断ち切ったのが醸造家のティエリー・ブルーアンでした。
ティエリー・ブルーアンはブルゴーニュ大学で醸造学と自然科学博士号を取得し、アルジェリアにある農業科学技術学校で醸造講師を勤めます。
ブルゴーニュとジュラのINAOの技術部門コンセイユとして勤務したという素晴らしい経歴の持ち主で、ブドウ栽培のプロとも言えるティエリー・ブルーアンがクロ・デ・ランブレイの総責任者として就任します。
その後ドイツのフレウント家が新しくオーナーとなり、醸造設備や畑を全て立て直し、ティエリー・ブルーアンと共にクロ・デ・ランブレイを復活させます。
努力とワイン作りに対する功績がみのり、AOCの制定により一級から特級への昇格が認められましたが、昔のクロ・デ・ランブレイの印象が強く、ブルゴーニュの中で最も評価の低いグラン・クリュと酷評され続けます。
ですが、次第にワイン作りに対する努力が認められ、酷評は消え去り、クロ・デ・ランブレイは本来の力を発揮し素晴らしいワインへと戻りました。
しかし、このような特級並の畑と言われてきたクロ・デ・ランブレイが、なぜ本来の力を発揮出来なかったのでしょうか?
クロ・デ・ランブレイはモレ・サン・ドニ村の一番中心の心臓部分にある畑で、立地条件はとても良かったのですが、畑に問題がありました。
モレ・サン・ドニ村の中でもとても優れた畑で、そこにできるぶどうは非常にエレガントで繊細でした。
他の畑のぶどうとは違っていたため、同じように育ててしまったり、コンディションが悪かったりすると、つまらないワインになってしまいます。
この原因を突き止めたティエリー・ブルーアンとオーナーのフレウント家により、クロ・デ・ランブレイは世界に名の残るワインとなりました。
またクロ・デ・ランブレイの味わいは、とてもバランス良く仕上がり、ラズベリーや赤系果実の芳醇な香り、その中にスパイシーさ、余韻が長く続き、とても深みがある味わいが特徴です。
今回お買取りしましたお品物は、少し汚れが目立ちましたが、1994年に作られたお品物で、ティエリー・ブルーアンが創設者になってから作られたという稀少なワインという事もあってお買取りさせて頂きました。